第1回例会「チェンバロと私」〜小林道夫氏を囲んで〜

2013年2月2日

演奏・お話:小林道夫

司会:岡田龍之介、大塚直哉

会場:古楽研究会 Space 1F

2月2日、チェンバロ協会初代会長の小林道夫氏をお迎えして、記念すべき第1回例会が開催されました。会場には40名を超える聴衆が集まり、約1時間半に渡って演奏とお話を伺う、充実した時を共に過ごしました。その内容全てを記すことはできませんが、全体の流れと、特に印象深かったお話をレポートいたします。

冒頭の挨拶で小林氏は、温かな笑顔を浮かべ、少し困惑されながら言われました。「会長とか、第1回とか、おそらく年のせいでこうなっちゃったのでしょうが・・・困ってしまいます。」今年80歳を迎えられ、ただキャリアの長さだけではなく、その気取らない人柄によって多くの後進から慕われているということを、改めて感じました。

初めにJ. S. バッハの《イタリア協奏曲》と《フランス組曲第5番》の演奏、その後「チェンバロと私」というテーマで、様々なエピソードを交えたお話へと続きます。時折「私は自分で決断をしたことがないのです」と繰り返しながらも、ご自身の音楽生活を振り返ってお話し下さいました。

まずは高校3年生の進路決定の時。当初は建築を勉強したいと思われたそうですが、芸大で絵を勉強された当時の担任の先生から「遅すぎる」と指摘され、「何か他にやりたいことはないのか?」と言われて、ピアノを選択。しかし、今度はピアノの先生からも「遅すぎる」と指摘され、紹介されるがまま芸大の楽理科へ入学されたとのこと。

芸大ではピアノで伴奏をするのが楽しくて、4年間伴奏ばかり。試験の時などは、やはり伴奏が得意だった同級生と共にあちこちの試験を掛け持ちし、お互いの試験会場へ向けて廊下を走ってすれ違うようなこともあったとか。特に「伴奏を専門にやる」という決断をしたわけでもないのに、そうした活躍を大学の先生や、二期会の方々に気に入られて、繋がりが拡がっていったそうです。

チェンバロとの出会いは、ラジオの公開録音。ノイペルトを購入したラジオ東京(当時)が、J. S. バッハのカンタータを演奏する際に、楽理科出身で伴奏ができると噂になっていた小林氏を抜擢。しかし、オケ合わせの3日間は、当時は貴重だったチェンバロは弾かせてもらえずピアノで代用させられ、本番だけチェンバロを弾くことができたというエピソードに、会場は笑いにつつまれました。

楽譜に書き込まれた右手の複数の音符の中から、指揮者のアドヴァイスに従って旋律を選んで弾いてみたら、ひとつの声部を任されたような満足感を得たこと、また「ピアノ科出身ではないのにピアノを仕事にしていくことにコンプレックス」を持ちながらも、チェンバロという新しい楽器であれば、他のピアニストと同じスタートラインに立てるのではないかと感じたことなど、その時のエピソードはどれも興味深いものでした。

増えていくコンサートの仕事、デトモルトへの留学、帰国後のリサイタル、毎年恒例となった《ゴルトベルク変奏曲》のコンサートなどのエピソードの中にも、たびたび「決断をしたことがない」という言葉が登場しました。「自分からやったのでなく、何もかもやらされた」と。しかし同時に「だらしないけれど、幸せな音楽生活をいただいた」とも表現されました。

ゴルトベルクの話に絡めたエピソードも。病床で患っていた福岡のとある社長夫人が、ランドフスカのレコードを聴いていたら回復し、それを知ったランドフスカが「大変、愛情深くあなたのことを考えています」という自筆サイン入りの写真を贈ったそうです。その後、社長夫人が亡くなり、その貴重な写真を託された小林氏がそれをチェンバロ協会へ寄贈すると仰った時には、会場全体が沸き立ちました。

たくさんの楽しいお話の後には、J. C. F. バッハの《きらきら星変奏曲》の演奏。18変奏のうちのひとつ、「シチリアーノがあまりに綺麗だったから、どうしてもレパートリーに加えたかった」との言葉どおり、愛情を込めて演奏されているのが伝わり、とても温かな雰囲気になりました。

この後は質疑応答の時間が設けられましたが、その回答の中でモダン・チェンバロに触れられたのは、とりわけ有意義な展開であったと思います。「ヒストリカルが主流になるのは当然だけれど、モダンにはモダンにしかない魅力がある。」これに同意される方は大変多いのではないでしょうか。残念ながらこのところ、モダン・チェンバロはなかなか接することのできない楽器になってしまっていますが、今一度モダンの魅力を再発見する機会を生み出すことができればという思いを強く持ちました。

最後の質問の中で「良い演奏とはなにか」という話題が出ました。定義付けの難しいこのようなテーマを、短い質疑応答の時間内でしっかりと向き合われた小林氏のお話を伺いながら、聴衆の私たちもいろいろなことを考えさせられました。演奏習慣やマニエラ(マニュアル)だけに依存する演奏の危険性を述べられた上で、「これは宿題にしましょう」と、話を閉じられました。

「決断をしたことがない」という小林氏の音楽家人生。しかしそこには、本当に好きで夢中になった道において、氏が必要とされ導かれてきたという流れを感じずにはいられません。常に等身大で、自らの信じるままに進んでこられたその姿から、後進の私たちはしっかりと学ばせていただいた、充実した一晩となりました。

(山縣万里・記)

この例会の動画を、日本チェンバロ協会会員専用ページにて公開しております。

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