特別例会「通奏低音の学び方~フランシス・フィッチ史を迎えて~」

2013年1月19日

:フランシス・フィッチ

通訳:植山けい

会場:古楽研究会 Space 1F

フランシス・フィッチ氏が25年以上の経験と研究の成果を基に執筆した鍵盤奏者のための通奏低音ワークブック“RUNNING THE NUMBERS: A Thorough Figured-Bass Workbook for Keyboard Players”の出版を受けて、来日中のフィッチ氏に通奏低音の学び方についてレクチャーしていただいた。会場には第一線で活躍しているチェンバリストはじめ、学生や音楽愛好家など多くの方々が来場し、ほぼ満員となった。前半はフィッチ氏ご自身にワークブックの内容をデモンストレーションも交えながらご紹介いただき、後半は実際に2組のアンサンブル公開レッスン形式でコーチングしていただき、聴衆も楽譜を見ながらどういう通奏低音が求められるかについて考えた。

先述したフィッチ氏の教本だが、自身の体験がきっかけとなり執筆することに。通奏低音の教本といえばバッハやヘンデルなど18世紀のスタイルのものばかりで17世紀の通奏低音についての分かり易い教則本があるべき、とのアイディアからこの教本は生まれた。そして最初誰もが抱く「恐怖感」をさまざまなアプローチから取り除き、個人に適した方法、すなわち目から・耳から・手のポジションからなど五感で通奏低音を学ぶ一冊となっている

では、講座でご説明いただいた教本の内容を簡単にご紹介しよう。まず、第一章は「即興なんて無理」という方への扉となる章である。講座ではデモンストレーションを交えながら解説していただいた。デモンストレーター二人が横並びとなって楽器に向かう。そしてひとりが左手でゆっくりG-F♯-E-D(グラウンドバス)を演奏し、途中から相手も同じバスを一緒に演奏。そのとき大切なのは、二人が音楽的にアンサンブルすることだとフィッチ氏は説く。どう呼吸しているかお互いに感じながらどんなことがあっても左手がぴったりそろっていることが大事で、このことによりベースパートの動きを体で覚えることができる。この左手の上で、一人はバスに対する3度音を右手で弾き、相方はその対旋律を弾く、というアンサンブルを交互に行っていく。そこから少し即興的な右手を入れるなど二人で演奏しながら対話することを覚える。右手がどういうことをしていても左手は常に2台でアンサンブルしているというのが重要で、慣れてきたら他の調で試してみるのも良いとのことだ。

続いて第二章。この章では「横の流れ」を習得する。ここで大事なのはバスとソプラノのライン。ここでもデモンストレーターにバスラインをまず演奏してもらい、つぎに書かれた数字通りのソプラノを重ねて演奏してもらう。このとき大切なのは、バスとソプラノが反行することで、対位法的な流れとして重要なことだとフィッチ氏は説いていた。こうすることでメロディーラインを確実に耳にいれることができる。さらにデモンストレーターにバスラインを演奏してもらい、参加者全員で数字通りのソプラノライン(メロディーライン)をドレミではなく数字(3、6など)で歌ってみるなど、メロディーラインを予測しながら横に歌うことを実際に行った。

第三章では、手のポジションや基本ルールの説明。右手で和音をつける前にバスとソプラノのみ弾いてからテノール・アルトパートを付け加える方向で練習するとよい。またこの段階では常にメロディーよりも低い音域で和音付けする練習を行う。

基本的な和音付けを学んだ後は、実際の作品例を見ながら通奏低音課題に取り組んでみる。この第四章では17世紀のイタリアスタイルの作品を演奏しながらさらに楽曲に適した通奏低音を習得する。その時のポイントとなるのは作品のテンポによって4声体で弾くか、もしくは2~3声の薄い和声で弾くか判断しなければいけないという事と、作曲家によってどう数字を選んでいるか、また当然の規則から♯を書いていないところがある等、ある程度の知識が必要になることである。(例:バスが5度下降しているとき下降したバス上は長三和音となる。バスに臨時記号♯がついているときは6の和音になる、など)

楽譜に書き込まれた右手の複数の音符の中から、指揮者のアドヴァイスに従って旋律を選んで弾いてみたら、ひとつの声部を任されたような満足感を得たこと、また「ピアノ科出身ではないのにピアノを仕事にしていくことにコンプレックス」を持ちながらも、チェンバロという新しい楽器であれば、他のピアニストと同じスタートラインに立てるのではないかと感じたことなど、その時のエピソードはどれも興味深いものでした。

通奏低音を学ぶための重要な教本の一つにダンドリューの本( Jean-François Dandrie. Principes de l’Acompagnement du Clavecin, Paris,1718)があるが、第5章ではこの教則本をベースに各声部の横の流れを意識することを習得する。第2章で行ったバスを弾きながら上声部を歌うというのをもう一度全員で行ったが、今回はソプラノだけではなく各々好きな声部を、数字を見ながらラインを予測して歌っていく。そうすることで各パートの流れを体で感じることができる。

第六章では様々な和声定型の譜例が載っており、実際に弾いて手の感覚で覚える練習。フィッチ氏はさまざまな調に転調しながら練習することを勧めている。

残りの第七章は歴史的な資料、第八章ではレチタティーヴォや種々のシテュエーションでの通奏低音演奏法についてのアイディアが載せられている。さらに第九章では通奏低音に関する参考文献、最終章である第十章では音楽用語の解説が記載されている。

以上のように、教本の中身をデモンストレーションも交えながらじっくり解説していただいて前半終了。休憩を挟んで後半は実際のアンサンブルを指導していただいた。
まず一組目はチェンバロと歌(ソプラノ)のアンサンブル。B.ストロッツィの “L’Amante Segreto” が題材となった。フィッチ氏はこの定型バスの曲を演奏するうえで、最初は左手にもっとしゃべらせてあげることが大切と説いていた。また、曲の序盤で完全に盛り上がらないよう、左手のみから始め、徐々に右手を足していくなど全体のプランする事を勧めていた。そして各セクションのつなぎ目に出てくる通奏低音のみの箇所は直前に歌手が歌っているメロディーを模倣するとか、似たパッセージを含ませるなど歌からアイディアを得るといい、とアドヴァイスしていた。

二組目はチェンバロとリコーダーのアンサンブルで、演奏された曲目はF.マンチーニのソナタ7番ハ長調より1楽章・2楽章であった。まず、1楽章については通奏低音パートが拍の強弱を出すことの大切さ、また解決した音が大きくならないよう弾く音の数やアルペジオについて考慮する必要があるとアドヴァイスしていた。この楽章のなかには解決音になる強拍(1拍目)にはバスがなく、休符のあと裏拍から始まるような音型があるが、フィッチ氏は、こういう場合はバスの音型を活かすためにも右手で強拍は弾かないことを勧めていた。この場合の数字や♯は何がおこっているか知らせる程度の役割で、メロディーパートがその音を奏する場合、なおさら右手で和音を弾く必要はないとのこと。また、フレーズの中で長いクレッシェンドをしたいとき、旋律楽器の効果を高めるため、チェンバロも和音の数をコントロールする、つまり単音からはじめ徐々に声部を増やしていく、など幅広いレンジで演奏する大切さを説いていた。次の楽章はラルゴだったが、両楽器のバランスをとるためにもレジストレーションについて考慮することも重要だとアドヴァイスしていた。レッスンの最後に、フィッチ氏は「よい通奏低音奏者というのはソリストが輝くように弾ける奏者で、ソリストの演奏を助ける役目が通奏低音である。」と語っていた。「だからコンサート直後に、よかったわよ!と声をかけられることは少ないかも」とも付け加えていた。

2時間半の講座はあっという間で、フィッチ氏の日本語も時折混ぜながらとても和やかな雰囲気で進んだ。休憩前に質問を受け付ける時間があったが、その中の一つにピアニストなど、楽譜に書いてあるものを練習するスタイルで学ぶ学生に対してどう通奏低音を指導するか、というものがあった。フィッチ氏はピアノを演奏する人には、書かれていない音を弾いてもいいという発見や、書かれている音を減らす(ピアノのヴォーカルスコアの左手でよく書かれているオクターブをとるなど)発見をさせてあげることが有効なのでは、と答えていて、皆「なるほど」という様子であった。

長年の教育経験から培ったアイディアがたくさん詰まったレクチャーで、今まで経験的に学んできた通奏低音も、こうすれば段階的に上達させることができるのか、と非常に興味深い講座であった。和声や対位法の知識はもちろん必要であるが、まず自分のあらゆる感覚を使って通奏低音に親しむことが最初のステップで、自分の奏でる右手とその和声の力で音楽を立体的に実現させるための「ツール」がフィッチ氏のレクチャーに溢れていた。

(宮崎賀乃子・記)

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