協会発足に向けて

協会発足に向けて

有賀のゆり (チェンバロ奏者 同志社女子大学名誉教授)

 

 心ある方々の真摯な情熱と努力のつみかさねにより「日本チェンバロ協会」の発足が遂に現実のものとなってきたことに対し、心から敬意と感謝を表せて頂きます。

 私は戦後のアメリカ留学(1949-1954)でバロック音楽に目覚め、修士論文(H.パーセル)の参考資料として初めてハープシコードの音をLPで、更に帰国直前に生演奏を聴きました。帰国5年後にドイツ留学(1960-1963)の機を与えられ、バッハ研究のためにチェンバロを学び、帰朝リサイタルを京都及び大阪で開催したのは1964年の10月、半世紀近く前のことでした。折りしも日本にもバロックブームが波及してきた頃で、幸いこのチェンバロリサイタルは画期的な演奏会として関西の音楽界に受けとめられました。その頃東京では1961年ウィーンから帰国された西川清子氏、そして1962年にザルツブルグから帰国された山田貢氏、ドイツで学ばれた小林道夫氏が活躍中で、ヨーロッパで正式にチェンバロ奏法を習得したものは私達4人位の感がありました。

 約10年を経て鍋島元子氏がオランダから帰国され、確実な計画の下に、チェンバロを中心とした研究会「古楽研究会ORIGO et PRACTICA」を創始され、多くの優秀な後継者を育成されまし た。先生が早世されたことは本当に悲しく残念なことでしたが、その教えはいよいよ深く門下の方々の中に宿り、没後10年を期に、日本におけるチェンバロに関する研究が始まりました。そして、現在活躍中のチェンバロ奏者と連携しながら「日本チェンバロ協会」の発足に向けての準備も始めたと聞きました。しかも協会員の範ちゅうをチェンバロ奏者に偏らせず多角的な専門の関係者を含め、「日本」のタイトルを付して国内のみならず国外にも視野の拡がりが見られることに慶びを覚えます。

 願わくは当協会の行き届いた会則に準じて、広範囲の奥深く楽しい〈チェンバロ、古楽探求〉の基本をふまえ、各自、各グループの個性を生かして発展していくことが出来ます様に。常に謙虚さを失わず互いに学び合い、音楽の真実を求めてその喜びを分かち合うこと。こうして「日本チェンバロ協会」が歩み出すことによって、地球上の生あるものに貴重な貢献ができます様にと夢を馳せております

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